JOURNAL レジリエンス・ジャーナル
【4大修羅場①】退場すらできなかった若き日
1992 バブル崩壊を「他人事」にした私たちの代償
「バブルが崩壊したらしい」
1990年代初頭。
社会人になってまだ数年だった私は、ニュースや職場でそんな話を聞いていた。
株価が下がっている。
土地の価格が暴落している。
ゴルフ会員権が紙くずになった。
会社の接待費が削減された。
タクシーで帰れなくなった。
日本経済に、何か大きな異変が起きている。
それは分かっていた。
でも――
正直、私には関係なかった。
なぜなら、私は何も持っていなかったからである。
株も持っていない。
不動産も持っていない。
大きな借金もない。
だから、資産価格が暴落しても、自分の生活が直接脅かされることはなかった。
当時の私は、それを「損をしなかった」と思っていたのである。
しかし、今の私は違う見方をしている。
私は損をしなかったのではない。
そもそも、市場に参加していなかった。
そして、その事実こそが、後の私の資産形成を大きく変えることになる。
「未来は、今よりもっと良くなる」と思っていた
1988年。
私が新卒で米国系IT企業に入社した頃、日本はバブル経済の真っただ中だった。
1985年のプラザ合意を背景に円高が進み、日本企業は世界へ進出していった。
三菱地所がニューヨークのロックフェラーセンターを買い、ソニーが米国のエンターテインメント企業を買収する。
日本企業が世界の資産を次々と手に入れていく。
今、海外から日本を訪れる人が、
「日本の商品は安い」
「日本の不動産は魅力的だ」
と感じるのと同じように、
当時の日本人にとって、世界の資産は「安く」見えていたのである。
そんな時代に、私は社会人になった。
会社は成長している。
日本経済も成長している。
給料も上がっていく。
未来は、今よりもっと良くなる。
――そんな感覚が、社会全体にあった。
だからこそ、その後に起こることを、私は想像していなかった。
そして、バブルは崩壊した
1989年12月。
日本の株式市場は史上最高値をつけた。
しかし、その後、株価は急落。
1990年代に入ると、不動産市場も大きく崩れていった。
バブル経済は、まるで夢から覚めるように終わっていく。
会社の雰囲気も変わった。
営業経費が削減される。
接待の機会が減る。
タクシーで帰宅することも減る。
景気が悪くなったことは、何となく分かる。
でも――
「自分の資産が半分になった」
という感覚はなかった。
そもそも、資産を持っていなかったからである。
上司たちは、
「ゴルフ会員権が暴落した」
「土地を持っている人は大変だ」
と嘆いていた。
ニュースでは、株価の下落が連日報じられている。
東京都心の不動産価格も急落している。
それでも、土地も株も持っていない若手社員にとって、それはどこか、
「テレビや新聞の中の出来事」
だったのである。
今になって思えば、これは非常に危険な状態だった。
「損をしていない」と思っていた。
でも、本当は、
「資産というものを、自分の人生の問題として考えていなかった」
それだけだったのである。
「入場」していない者は、「退場」すらできない
バブル崩壊によって、多くの人が大きな損失を抱えた。
株式を持っていた人。
不動産を持っていた人。
土地を担保に借金をして事業を拡大していた人。
中には、巨額の負債を抱え、事業の継続が困難になった人もいた。
市場から「退場」を余儀なくされた人たちである。
一方、当時の私は違っていた。
私は――
「退場することすらできなかった」
のである。
そもそも、市場に入っていなかったからである。
この言葉は、後になって私自身の資産形成を考える上で、非常に大きな意味を持つようになった。
私は「投資をしていなかったから安全だった」と思っていた。
しかし、それは違っていた。
私は、
資産価格が下落するリスクも知らなかった。
資産価格が上昇する可能性も知らなかった。
インフレやデフレが資産にどう影響するのかも知らなかった。
そして何より、
「自分の人生を守るために、資産をどう設計するか」
という問題を、自分自身の課題として考えていなかったのである。
今振り返ると、
私は「負けていなかった」のではない。
ただ、戦いの場に立っていなかった。
それだけだったのである。
「持たないこと」も、また一つのリスクだった
しかし、ここからが私にとって本当の意味での学びだった。
バブル崩壊の直接的なダメージを受けなかった私は、その後、日本が長いデフレ時代に入っていくのを見ていくことになる。
株価が低迷する。
不動産価格が下落する。
企業の成長が鈍化する。
給料も思うように増えない。
一方で、日本以外の世界では、さまざまな成長が続いていた。
当時の私にとって、
「日本で働いて、日本円で給料をもらい、日本の銀行に預金する」
ことは当たり前だった。
でも、それは本当に「安全」だったのか。
一つの国。
一つの通貨。
一つの収入源。
一つの金融システム。
そこに、自分の人生のすべてを依存する。
それもまた、一つのリスクなのではないか。
このことに、私はまだ気づいていなかった。
「予測する」のではなく、「壊れないようにする」
バブル崩壊を経験した後、私は少しずつ考えるようになった。
もし、あの時代に戻れるとしたら。
どうすれば資産を守れたのだろう。
もちろん、後からなら何とでも言える。
「あの時、株を売っておけばよかった」
「あの時、不動産を買わなければよかった」
「あの時、もっと現金を持っていればよかった」
でも、実際に市場の熱狂の中にいるとき、その判断は簡単ではない。
上昇相場では、誰もが、
「まだ上がる」
と言っている。
暴落した後には、
「もう底だ」
と判断することも難しい。
だからこそ、私は後になって、
「未来を予測すること」よりも、
「未来が予測できないことを前提に設計すること」
の方が重要なのではないかと考えるようになった。
株価が暴落するかもしれない。
不動産が下落するかもしれない。
為替が大きく動くかもしれない。
金利が上がるかもしれない。
会社の業績が悪化するかもしれない。
人生そのものが変わるかもしれない。
それなら、
「絶対に損をしない資産」を探すのではなく、
「何かが起きても、人生そのものが壊れない資産構造」
を作る。
これが、後に私が「資産防衛」を考える上での重要な視点になっていった。
本当に怖いのは、暴落ではない
資産形成で最も恐ろしいのは、一時的に資産価格が下落することだけではない。
本当に怖いのは、
「二度と市場に戻れないほどのダメージを受けること」
である。
過度な借入をしている。
生活資金まで投資している。
一つの資産に集中している。
一つの国や通貨に依存している。
収入が途絶えたときの備えがない。
そうした状態では、市場が暴落したとき、安くなった資産を買うどころか、自分自身が売らざるを得なくなる。
一方で、十分な流動性を持ち、無理のない借入で、複数の資産に分散している人は、同じ暴落を経験しても行動が変わる。
売らなくてもいい。
待つことができる。
そして、場合によっては、安くなった資産を買うこともできる。
だから私は、長期の資産形成において、
「どれだけ増やすか」
と同じくらい、
「どうすれば市場から退場せずに済むか」
を考えることが重要だと思う。
この考え方は、後に私が不動産投資を始めたときにも、非常に大きな意味を持つことになる。
【実務家の視点】
資産を守るために、最初に考えるべきこと
資産防衛というと、
「株と債券を何%ずつ持つのか」
「不動産を何%持つのか」
「金を何%持つのか」
といったポートフォリオの話になりがちである。
もちろん、資産配分は重要である。
しかし、私はそれ以前に、もっと重要なことがあると思う。
それは、
「自分は、どこまでの損失に耐えられるのか」
を知ることである。
半年から1年程度の生活費を現金で確保する。
無理のない借入に抑える。
一つの資産に集中しすぎない。
一つの国や通貨に依存しすぎない。
市場が下落しても売らなくて済む資金を確保する。
そして、自分の人生のゴールに合わせて資産配分を考える。
こうした基本的な設計があって初めて、株式、不動産、債券、金、海外資産などの具体的な資産配分を考えることができる。
私は今でも、
「万人にとって完璧なポートフォリオは存在しない」
と考えている。
年齢。
収入。
家族構成。
住宅ローン。
事業の有無。
人生の目標。
リスク許容度。
人によって条件は違う。
だからこそ、資産形成で大切なのは、
「誰かの正解をコピーすること」ではなく、自分自身の人生に合わせて資産をデザインすること。
そして、環境が変われば修正することである。
人生をデザインする。
↓
人生のゴールを考える。
↓
必要な資産を考える。
↓
資産を組み合わせる。
↓
環境が変われば修正する。
↓
そして、何が起きても「退場しない」。
これが、私が長い時間をかけて学んできた資産形成の基本姿勢である。
エピローグ
「負けていない」のではなく、「まだ入場していなかった」
1992年。
私はバブル崩壊を「他人事」として過ごした。
株も持っていない。
不動産も持っていない。
だから、直接的な損失もなかった。
しかし、今振り返ると、私は何も知らなかったのだと思う。
市場がどう動くのか。
資産価格がどう変化するのか。
インフレとデフレが人生にどう影響するのか。
一つの国や通貨に依存することに、どんなリスクがあるのか。
そして何より、
資産を持つことも、持たないことも、どちらも一つの選択である。
ということを知らなかった。
私は「負けなかった」のではない。
まだ、入場していなかったのである。
そして、人生とは不思議なものである。
その後、私はIT企業からグローバル物流企業へ転職する。
そこで私は、世界中の国々を飛び回り、さまざまな通貨、経済、文化の中で仕事をすることになる。
そこで見た世界は、私の考え方を変えていった。
「日本で働き、日本円で給料をもらう」ことだけが、働き方ではない。
「日本円だけで資産を持つ」ことだけが、資産形成ではない。
世界には、国境を越えてビジネスをし、外貨を稼ぎ、自分の生活する国の通貨で暮らす人たちがいる。
それなら――
「外貨で稼ぎ、円で暮らす」
という考え方も、一つの資産形成になるのではないか。
この発想が、後の私の人生と資産形成を大きく変えていくことになる。
そして、舞台は、IT産業からグローバル物流の世界へ変わっていった。
――4大修羅場②へ続く。